イメージする力

ブロックラビット

人間が地球上で大きな顔をしていられるのは、イメージする力があるからだそうだ。

そういえば、人間ってただの紙切れ(紙幣)に価値を見出すことができるし、ありがたがることもできる。わたしも紙幣の価値を理解してるし、もらうと嬉しくなる。

チンパンジーにはまねのできないことだ。チンパンジーに紙幣を見せても紙は紙だし、やつらにとっては他の何ものでもないただの紙だ。おそらく。

紙幣の価値を理解できる類人猿が登場した時こそ、人類は気を付けなければならない。猿の惑星の誕生につながる可能性がある。

どちらが根源的に正しいかと言えば、チンパンジーの感覚の方がたぶん正しい。紙に一万円と刷ってあるからといって、ただの紙に一万円の価値を見出す力を持つ人間は、この地球上で唯一無二の生物なのだと思う。

人間がイメージするとやがて鉄の塊も空を飛ぶようになるし、海の中に沈むことなく潜れるようになる。紙は価値を持つようになるし、実際に手にしなくても、「これには価値がある」とイメージすることで億万長者になることも可能だ。

だから仮想通貨の世界なんて、究極の人間的な世界なんだろう。まだ紙幣なら山羊は食べることができるが、クリプトなど人間以外の生物の箸にも棒にもかからない。まさに存在しないものだ。人間のイメージの世界にしか存在しない不思議な世界だ。

今までの人生で自分が実際に手にしたことがある最高額は5千万円。客の目の前で枚数を確認していて、途中で手と指が痙攣して勘定できなくなった。だって1万円札が5千枚だよ。

やがて機関投資家が客になると、取引額は億単位になったものの、ウリカイ時に生じる金額を実際に目にすることはなくなった。電子的に決済されていたわけで、それを不思議に思ったこともない。

そういえば卒業して入社した最初の一年ぐらいは、給与は手渡しで袋(封筒)に入った現金を受け取っていた。それがいつの間にか銀行振り込みになり、以来自分の給与を実際に手にした記憶がない。

もともと紙とか金属とか、本来の価値とは異なるものに本来価値を化体させていたので、目の前から見えなくなっても不都合はなかったとわけだ。お金が振り込まれたといわれれば、通帳や画面上に印字されている金額を見て、あー振り込まれてるな、と安心するわけだが、これもイメージする力がないと成立しない。

チンパンジーに、約束のバナナを振り込んでおいたから、と説明しても奴らは絶対に承知しないだろう。バナナという現物を手にしない限りは。

紙幣とか貨幣もそうだが、その上仮想の世界にまで来てしまった人間はやはり地球上の生物としては変わっている。

そこまで言って、まだクリプトの世界にとまどっている自分は、幾分チンパンジーに近い位置にいるんだろうなー、という気がしている。