60年生きてみて感じること

仮想通貨

60年と少し生きただけでも、新しいことに出会う機会って多いんだな、ということに最近ふっと気が付いた。

最新のものが陳腐化し、最先端なことが日常化していく時間の流れの中にいると、初めて出会った時の驚きとか喜びはなくなるし、自分が生まれた時からそれらのモノやコトがすでに存在していたかのように振る舞う自分に驚きを感じる。

自分が幼い頃にあったものが消え、なかったものが今現れていても、変だ不思議だと感じなくなる人間の感覚って不思議だ。

機関投資家をカバーしていた頃、最大手の顧客からある日、「Kさん、次回のオーダーからは、出来通知はエクセルで、やり取りはメールでやってください。これに沿えないところとはお付き合いを停止する場合もあります。」と唐突に言われたときは慌てた。脂汗が流れた。あれは90年台後半の頃だったかな。

イーメールって何のことか知らないし、エクセルなんて何?の状態。幸い同僚のご主人がそういう方面に詳しい方だったので何とか難は逃れたものの、わけのわからないことが突然現れると、ショック状態に陥ることはよく分かった。

やっぱりこういうショッキングなことがないとわたしは動かないし、新しいことに手を染めることはない。

そしてそれまで当たり前のようにあったテレックスが消え、ファックスも脇役に落ちていった。あのテレックスが…という感慨もないままいつの間にかなくなっていた。Welcome e-mail, sayonara telex。

仮想通貨、ブロックチェーン、IOTなどの言葉を耳にし目にすると、ふとあの頃と似た感覚を覚える。一瞬ショック状態に陥ってしまうような。

実は一ヶ月ほど前まで、この世界に少しでも小指を突っ込むことになろうとはこれっぽっちも考えていなかった。

そもそも現実通貨だけで十分に生活は成立しているし、ハンコをついたりいろいろな書類を作成することに違和感を感じていない。

父親が亡くなった時、自分で相続がらみの手続きを行って、その煩雑さ、面倒くささ、あほらしさに腹は立ち疲労はしたものの、今度おふくろが亡くなったらまた頑張るぞ!と張り切ってる自分が怖い。

そのエネルギーと時間をもっと生産的なことに使えよ、もっと創造的なことしろよ、と非難されるんだろうなー、とは思うけど。

そして数日前、仮想世界にどっぷりと首を浸している(携わる)人々の集まりに初めて参加させていただいた。

で、その時に感じたこと:何が起きるのかな、ついていけるかなというドキドキ感。

大学を卒業して訳も分からないまま就職をしたころに比べればマシだけれど、この感覚は相変わらずあるなー、変わらないな、と。

普通の人間であるわたしが関わっていこうとし始めているぐらいだから、ここから一気に普通のこととして広まって行くようにはなるんだろうけれど、どのようになっていくのかは、神のみぞ知る、の領域だし。

初心者は初心者なりの取り組み方で、まず自分を啓蒙、educateしてと。

そこから一気に、かな。だといいなー。